「見えやすい困難さ」と「見えにくい困難さ」 〜なぜ「わがまま」と誤解されてしまうのか〜

当ページのリンクには広告が含まれています。

朝の着替えのたびに大泣きする子がいました。

理由を聞いてみると、服のタグが肌に触れるのがどうしても我慢できないとのこと。
タグを切っても、縫い目のわずかな感触が気になって、結局着られる服はいつも数枚に限られてしまいます。
給食でも、においや食感がどうしても受けつけられないメニューがいくつもあり、ほとんど手をつけられない日も少なくありませんでした。

周りの大人からは、こんな言葉が返ってくることがあります。

「わがままを言っているだけなんじゃない?」
「好き嫌いは、もう少し頑張れば克服できるはず」

今回は、こうした見えにくい困難さをどう理解していけばいいのかを、皆さんと一緒に考えたいなと思います。

なお、この記事は子どもを中心に書いていますが、同じような特性は大人にも見られます。職場や家庭でも当てはまる話だと思って読んでいただけたら嬉しいです。

目次

「見えやすい困難さ」と「見えにくい困難さ」

見えやすい困難さとは

車椅子や杖を使っている、言葉が聞き取りにくいなど、周りが見た瞬間に「配慮が必要そうだ」と気づきやすい困難さのことです。

見えにくい困難さとは

感覚の特性や、実行機能・ワーキングメモリの弱さなど、外から見える行動だけでは、その背景にある困難さに気づきにくいもののことです。

見えにくい困難さは、行動の結果だけを見ると「怠けている」「わがまま」「甘えている」と誤解されやすいという特徴があります。
見えやすいか見えにくいかは、困難さの大きさとは関係ありません。
ただ、見えにくいというだけで、その子が「頑張っていない」ことにされてしまうということが起きてしまいます。

感覚の特性が生む、見えにくさ

見えにくい困難さの代表的なものが、感覚の特性です。多数派の人が気にならない刺激が、その子にとってはとても強く感じられたり(感覚過敏)、逆にとても感じにくかったりします(感覚鈍麻)。

音でいえば、運動会のピストルの音や教室のざわめきが、耳をふさぎたくなるほどつらく感じられることがあります。光でいえば、蛍光灯や日光のまぶしさが、目を開けているだけでしんどいこともあります。肌でいえば、さきほどの子のように、服のタグや縫い目がずっと気になって仕方がないこともあります。においや味でいえば、給食のにおいそのものが受けつけられなかったり、特定の食感だけがどうしても苦手だったりします。

反対に、感覚が鈍くなる形で現れることもあります。痛みや体温の変化に気づきにくく、ケガをしていても平気な顔をしていたり、力加減が分からず、物を強く握りすぎたり人にぶつかってしまったりします。高い所から飛び降りる、くるくる回るといった、強い刺激を求めるような行動が目立つ子もいます。これは前庭覚と呼ばれる感覚の鈍さから来ていることがあります。

こうした特性は、見えやすい困難さとは違い、そう簡単には理解することはできません。
だからこそ、「そのくらい我慢できるはず」と思われてしまいやすいのだと思います。

実行機能・ワーキングメモリの弱さという、見えにくさ

見えにくい困難さは、感覚だけではありません。実行機能(計画を立てて実行する力)や、ワーキングメモリ(頭の中で情報を一時的に覚えておく力)の弱さも、代表的な例です。

忘れ物が多い、活動の切り替えが苦手、話す順番が前後してしまう。こうした姿は、周りから見ると「気をつければできるはず」「やる気がないだけ」と受け取られがちです。でも本人の中では、指示を頭の中に保っておくことや、今やっていることから次の行動へ切り替えること自体に、大きなエネルギーを使っていることが少なくありません。「宿題やったの?」と聞かれて「今からやろうと思ってた」と答えるとき、それは言い訳ではなく、頭の中の準備がまだ整っていないだけ、ということもありえます。

診断名は、あくまで目安です

ここまで挙げてきたような特性は、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、SLD(限局性学習症)といった診断名と結びつけて語られることがあります。ざっくりと言うと、ASDは対人関係やこだわりの強さ、ADHDは不注意や多動性・衝動性、SLDは読み書きや計算など特定の学習面の難しさが、それぞれの特徴とされています。

ただ、ここまで紹介してきた感覚の特性や実行機能の弱さは、どれか1つの診断だけに現れるものではありません。複数の診断で重なって見られることもありますし、診断がつかないまま、同じような困難さを抱えている人もたくさんいます。

診断名は、支援の手がかりになる大切な目安です。でも、「この特性があるから、この診断だ」と決めつけられるものではありません。目の前のその子を見ずに診断名だけで理解した気になってしまわないように、心に留めておくことが大切だなと思います。

コミュニケーション能力という、見えにくさ

もう一つ、見えにくい困難さとして触れておきたいのが、コミュニケーション能力です。

相手の表情から気持ちを読み取る、言葉の裏にある意図をくみ取る、これまでの文脈から次の展開を想像する。私たちの多くは、こうした力を無意識に使いながら会話をしています。

でも、この力の使い方は、実は一様ではありません。多数派とは異なる使い方をする人は、「空気が読めない」「変わってる」「話が通じない人」といったレッテルを貼られ、仲間はずれにされやすいのが今の社会だなと感じます。

身近な例を1つ挙げてみます。「目を見て話を聞きましょう」というルール、学校や家庭でよく耳にします。これは、目を見て話した方が相手は安心できたり、納得できたりする、という多数派の感覚がもとになっています。

でも、目を合わせることでかえって強い緊張や不快感につながる人もいます。その人にとっては、目を見ないで聞いている方が、実はしっかり話を聞けている、ということも珍しくありません。

「目を見て話を聞きましょう」自体が悪いわけではありません。ただ、それが「唯一の正しい聞き方」として扱われるとき、そこには多数派にとって心地よいやり方こそが普通だという前提が、静かに入り込んでいるのだと思います。

ここまでのポイント
  • 見えやすいか見えにくいかは、困難さの大きさとは関係ない
  • 感覚過敏・感覚鈍麻は、目に見えず、理解されづらい
  • 実行機能・ワーキングメモリの弱さも、見えにくい困難さの代表例
  • 診断名は支援の目安であり、決めつけの道具ではない
  • コミュニケーションの力の使い方も一様ではなく、多数派の基準からずれるだけで「変わってる」と扱われやすい

まとめ

見えにくい困難さは、見た目や行動だけでは気づきにくいからこそ、周りが意識して捉えようとし続ける姿勢が欠かせません。

そしてもう一つ、私たちが普段「普通」だと思っている物差しそのものが、実は多数派にとって心地よいように作られたものかもしれない、という視点も持っておきたいなと思います。

皆さんの周りにも、行動だけを見て「わがまま」「変わってる」と思われてしまっている人がいないか、少し立ち止まって考えてみていただけたら嬉しいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

研修ページへ(HPへリンク)

よろしければシェアお願いします!
目次